水木さんは子どもの頃から、自他ともに認める「ズイボ(食いしん坊)」だった。長じても、おやつにまんじゅうを何個食べたとか、昼食に生牡蠣(がき)を何人前平らげたとか…食に関しての話題は日々、尽きなかった。 ところが、私も […]
ラバウル(※1)のトライ族の村長トペトロが亡くなって3年後の1994年、水木さんは彼の葬儀のため、現地に渡る。その際、私も同行した。 トペトロは水木さんの命の恩人。戦時中、食物を運んでくれた現地の少年だった。だが到着 […]
水木さんは、ある取材で述べている(※1)。 「女性が元気なのは幸せな時代」「過去の誤りは、女性の意見が通らなかったから」 戦争中にラバウル(※2)で現地人の母系制社会を観察して、そう思ったのである。「戦争は男がする。 […]
水木さんのモットーは〝楽をして、のんびり暮らすこと〟。「あくせく働き、アタフタ死ぬのはつまらない」とよく言っていた。 ところが現実の水木さんは、日曜日も休まないほどの働きバチ。貧乏時代は「餓死しない」ため、有名になっ […]
足かけ3年の水木さんの密着取材中に、水木さんから「私、怒ってます!」と聞いたのは一度だけだ。 1993年、作家の中野孝次さんの『清貧の思想』(草思社)がベストセラーになった年のこと。書店でたくさん平積みになっていた。 […]
水木さん特有の人物評価の基準に、「奇人・変人」ぶりというのがある。誰かと出会って、その人を評価する時の第一声が、「あの人、変わってます!」。「常識」をはみ出しているか否かが、とても重要なポイントらしい。 有名どころで […]
1993年6月、水木さんと共に約10間の日程でアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の居留地巡りに出かけた際のこと。行く先々でなぜか同じ質問を受ける。 「あの人、イノウエ上院議員?」「ダニエル・イノウエさんなの?」 […]
水木さんの本名は武(む)良(ら)茂。2歳ずつ違う3兄弟の次男坊である。 長く水木プロダクションのマネージャーを務めた弟の幸夫(ゆきお)さんは「武良三滴」の俳号を持つ俳人で、次の句がある。 『鴬(うぐいす)餅 四時の抹 […]
キリスト教の伝来以前、ヨーロッパ全土には、ケルト(※1)の文化が広がっていた。今日、「妖精」と呼ばれるものの多くは、そのケルトの神々を源流としている。例えばイングランドで有名な小人の妖精・ピクシー。緑色の服を着て、赤い […]
水木さんのディープなファンは、「『河童の三平』が一番好き」と言う人が多い。 というのも、この作品は物語全体がゆったりと自然に包まれ、水木さんの好きな糞尿や放屁の話もたっぷり。「死神」を巻き込んだギャグも豊富で、まさに […]
東京・調布市の水木プロに通っていた頃、水木さんが漫画を描いている場面を一度も見たことがなかった。アシスタントたちへの指示はしていたが、作品の基盤となる下書きやネーム(台詞)入れは、夕方から夜にかけ、一人で個室にこもって […]
「いよいよ立ち上がるんですよ!水木サン(自身のこと)は世界妖怪協会を創設し、会長になります!アンタも協力してください」。 水木さんに呼ばれ、東京都内の事務所に出向いたのは1996年1月。開口一番、鼻息も荒く、嬉々とし […]