vol12

逆境に耐え続ける力の根源

 水木さんは子どもの頃から、自他ともに認める「ズイボ(食いしん坊)」だった。長じても、おやつにまんじゅうを何個食べたとか、昼食に生牡蠣(がき)を何人前平らげたとか…食に関しての話題は日々、尽きなかった。  ところが、私も […]

vol10

パウロ讃歌を浴びた水木さん

 ラバウル(※1)のトライ族の村長トペトロが亡くなって3年後の1994年、水木さんは彼の葬儀のため、現地に渡る。その際、私も同行した。  トペトロは水木さんの命の恩人。戦時中、食物を運んでくれた現地の少年だった。だが到着 […]

vol9ぬりかべ

女性優位の社会こそ「楽園」

 水木さんは、ある取材で述べている(※1)。 「女性が元気なのは幸せな時代」「過去の誤りは、女性の意見が通らなかったから」  戦争中にラバウル(※2)で現地人の母系制社会を観察して、そう思ったのである。「戦争は男がする。 […]

vol8

猫は「幸福の観察者」

 水木さんのモットーは〝楽をして、のんびり暮らすこと〟。「あくせく働き、アタフタ死ぬのはつまらない」とよく言っていた。  ところが現実の水木さんは、日曜日も休まないほどの働きバチ。貧乏時代は「餓死しない」ため、有名になっ […]

vol7みずき

美しい貧乏などないっ!

 足かけ3年の水木さんの密着取材中に、水木さんから「私、怒ってます!」と聞いたのは一度だけだ。  1993年、作家の中野孝次さんの『清貧の思想』(草思社)がベストセラーになった年のこと。書店でたくさん平積みになっていた。 […]

vol11

奇人・変人が幸せな人生の手本

 水木さん特有の人物評価の基準に、「奇人・変人」ぶりというのがある。誰かと出会って、その人を評価する時の第一声が、「あの人、変わってます!」。「常識」をはみ出しているか否かが、とても重要なポイントらしい。  有名どころで […]

vol6

太平洋を挟んだ2人の〝ヒーロー〟

 1993年6月、水木さんと共に約10間の日程でアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)の居留地巡りに出かけた際のこと。行く先々でなぜか同じ質問を受ける。  「あの人、イノウエ上院議員?」「ダニエル・イノウエさんなの?」 […]

3兄弟の極上ティータイム

 水木さんの本名は武(む)良(ら)茂。2歳ずつ違う3兄弟の次男坊である。  長く水木プロダクションのマネージャーを務めた弟の幸夫(ゆきお)さんは「武良三滴」の俳号を持つ俳人で、次の句がある。 『鴬(うぐいす)餅 四時の抹 […]

座敷わらし

「妖精」はヨーロッパの「妖怪」

 キリスト教の伝来以前、ヨーロッパ全土には、ケルト(※1)の文化が広がっていた。今日、「妖精」と呼ばれるものの多くは、そのケルトの神々を源流としている。例えばイングランドで有名な小人の妖精・ピクシー。緑色の服を着て、赤い […]

河童

『河童の三平』、原点は布枝さんの故郷

 水木さんのディープなファンは、「『河童の三平』が一番好き」と言う人が多い。  というのも、この作品は物語全体がゆったりと自然に包まれ、水木さんの好きな糞尿や放屁の話もたっぷり。「死神」を巻き込んだギャグも豊富で、まさに […]

vol2

漫画は苦しい、妖怪は楽しい

 東京・調布市の水木プロに通っていた頃、水木さんが漫画を描いている場面を一度も見たことがなかった。アシスタントたちへの指示はしていたが、作品の基盤となる下書きやネーム(台詞)入れは、夕方から夜にかけ、一人で個室にこもって […]

べとべとさん

妖怪文化を啓蒙へ協会創設

 「いよいよ立ち上がるんですよ!水木サン(自身のこと)は世界妖怪協会を創設し、会長になります!アンタも協力してください」。  水木さんに呼ばれ、東京都内の事務所に出向いたのは1996年1月。開口一番、鼻息も荒く、嬉々とし […]