すべての道は鳥取に通ず 古本屋ふまじめ乱読日記

幼少から本に囲まれた人生を過ごしてきた古書店の店主が、どこかしらに「鳥取」と縁のある本を、独自の視点で掘り下げるエッセー。また店主自らが描くオリジナルの挿絵にも注目。

文・イラスト/前田 環奈

よそ者であることの愉悦

 先日、用事があって米子(よなご)市の皆生(かいけ)温泉に一泊した。米子駅から、同じ宿へ向かう九州のご夫婦と送迎車に乗り合わせた。

 「今日は投入堂へ行きたかったんだけど、残念ながら雨で立入禁止だったんです」

 「とうにゅうどう」と夫が言い、運転手が「なげいれどう」ですね、と訂正した。数年前、会津(あいづ)若松へ知人を訪ねた折、タクシーの運転手に「さかしたちょう」と告げたら、「ばんげまち(坂下町)ね」と返されたことを思い出した。

 こんなとき、自分が旅の空のよそ者であるという実感を強く覚える。それは孤独な感覚だが、同時に旅の醍醐味(だいごみ)でもある。鳥取で列車のことを「電車」と呼ぶ人は間違いなく県外出身者だし、まして「大山」を「おおやま」と読む人は関東人だと分かってしまうものだ。さりげなく列車を「汽車」と呼ぶようになったとき、その人の旅は終わるのかもしれない。

 木山捷(きやましょう)(へい)は鳥取の隣県である岡山出身の作家だが、中国山地を境に〝陰〟と〝陽〟とも称される両県の空気はやはりずいぶん違うのだろう。旅をテーマに古今東西から文学作品を集めた本書の中でも、三朝(みささ)温泉の旅を描いた随筆『山陰』は、どこか湿って(ほの)暗い、昭和の旅情を感じさせる。(ひな)びた宿で茶褐色のラジウム泉につかり、パチンコでスッて、()徳山(とくさん)の茶屋で豆腐をおかわりする。予定らしい予定はない。詳しい情報は現地調達。インターネットがない時代、旅はきっと万事がこうだったし、旅人は孤独なよそ者の気分を存分に味わえた。詳細な旅行ガイドと美しい写真と口コミによって、令和の旅は、はたしてより豊かになっただろうか。

山陰(『ちくま文学の森13 旅ゆけば物語』所収)

木山捷平 著

書名:ちくま文学の森13 旅ゆけば物語
編者:安野光雅、森毅、井上ひさし
出版社:筑摩書房
発売日:1989年2月25日
サイズ:幅140mm×高さ194mm

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【Profile】
前田 環奈(まえた・かんな):文・イラスト

古本屋「邯鄲堂」店主。その昔、ラムネ工場だった古民家をリノベーションした店の帳場で、本の販売をしたり、陶磁器の修理(金継ぎ)をしたり、文章を書いたり、イラストを描いたりしている。

■邯鄲堂(かんたんどう) http://kantando.blog.fc2.com