すべての道は鳥取に通ず 古本屋ふまじめ乱読日記

幼少から本に囲まれた人生を過ごしてきた古書店の店主が、どこかしらに「鳥取」と縁のある本を、独自の視点で掘り下げるエッセー。また店主自らが描くオリジナルの挿絵にも注目。

文・イラスト/前田 環奈

〝もうひとつの世界〟を垣間見る

 山と海に囲まれた「ヘリヤ地方」に住む少年・アムナリウスは、中空にたゆたう《声たち》と対話しながら、いつもの陸上バスへ乗り込む。「公社」の人の指示のもと、小石を拾う作業に従事するために。

 『ヘリヤ記』は、私たちが暮らす世界とは別の〝世界〟を描くファンタジー小説だ。やさしい言葉で紡がれた一見穏やかな作品だが、薄膜のように全編を包む不穏な予感に、読者である私は、ディストピア(反理想郷)という言葉をつい連想してしまう。〝こちらの世界〟が原発事故やパンデミックを経たからこそ、この物語はいま、ここに表出したのではないか。そんな理屈っぽいことを考えたりもしてしまう。きっと読む人それぞれに、描かれていない何かを想起させる力が、この物語にはある。それはこの物語が、作者の内部から、時間をかけてゆっくり立ち上がってきた〝いきもの〟だからかもしれない。

 作者で詩人の白井明大(あけひろ)さんは、東京都出身だが、縁あって数年前、鳥取市に移住した。この地で暮らし、歩き、目を凝らし、耳を澄ませた日々が積み重なるなかで、白井さんの中に生まれた言葉たちが『ヘリヤ記』になったという。本書冒頭の「ヘリヤ地方」の地図をよく見ると、鳥取市民ならきっとニヤリとしてしまうはずだ。

 本作は三部作の私家版(しかばん)(※1)として制作され、今年はⅡの刊行が予定されている。この手のひらサイズの小さな本の存在に、気づき、浸り、そして続きを待つこと、そのささやかな一瞬の連続が特別だと気付かされる。ヘリヤ地方は今、どんな天気だろうか。(にび)(いろ)(※2)の鳥取の空を見上げながら、ふと思いをはせる。

※1 個人が営利を目的としないで発行し、狭い範囲に配布する書籍
※2 濃い灰色

『ヘリヤ記Ⅰ《声たち》』

著者:白井明大 装画・挿絵:カシワイ
出版社:詩之友社
発売日:2024年5月16日
サイズ:幅110mm×高さ148mm

※テキストの流用や写真・画像の無断転用を禁止します。

【Profile】
前田 環奈(まえた・かんな):文・イラスト

古本屋「邯鄲堂」店主。その昔、ラムネ工場だった古民家をリノベーションした店の帳場で、本の販売をしたり、陶磁器の修理(金継ぎ)をしたり、文章を書いたり、イラストを描いたりしている。

■邯鄲堂(かんたんどう) http://kantando.blog.fc2.com