すべての道は鳥取に通ず 古本屋ふまじめ乱読日記

幼少から本に囲まれた人生を過ごしてきた古書店の店主が、どこかしらに「鳥取」と縁のある本を、独自の視点で掘り下げるエッセー。また店主自らが描くオリジナルの挿絵にも注目。

文・イラスト/前田 環奈

センセイと歩いた日々

 まぐろ納豆。蓮根のきんぴら。塩らっきょう。
 居酒屋のカウンターで偶然隣り合わせた(さかな)の趣味の合う人は、高校時代の国語の先生だった。妻を亡くした「センセイ」と、四十路を目前にしたツキコさん。30と少し年の離れたおひとりさま同士は、友情とも、恋愛ともつかぬ、曖昧で他愛ない交流を重ねていく。
 未熟な大人同士が、いい年をしてごっこ遊びをしているような話だ。一読したとき、共感とともにかすかな嫌悪感も覚え、そんな感想を抱いた。けれど、〝成熟した大人〟とは、一体誰のことだろう。ふとそう考えてみると、自分自身はもちろん、知っているどんな大人の顔も模糊(もこ)として浮かんでこないのだった。
 〝大人〟というやつは、あらゆる関係性を定義することで、社会を理解し、安心しようとする。友人として、親として、子として、伴侶として、自分のふるまいは正解なのだ、といちいち確認しようとする。
 誰かと寄り添って人生を歩む事を、恋人や結婚と呼ぶことで〝大人〟の免罪符を得られるのならば、センセイとツキコさんの、ゆらゆらとした心地良い関係はなんなのだろう。

『柳洩る
夜の河白く
河越えて煙の小野に』……

 茶碗に注いだ手酌の酒をなめながら、センセイが朗々と「唱える」のは、鳥取県が生んだ明治の詩人・伊良子(いらこ)(せい)(はく)の詩の一節。端正かつ、しみいるような叙情に満ちた彼の詩を愛すセンセイ。その隣で、「イラコセイハクなんて聞いたこともない」と、こちらも手酌のツキコさん。
 2人は、同じ月を見ている。ただそれだけでいいのかもしれない。

 本書は、やはり鳥取県出身の漫画家、谷口ジローによって漫画化されている。

『センセイの鞄』

著者:川上弘美
出版社:文藝春秋
発売日:2004年9月10日(文春文庫)
サイズ:幅105mm×高さ151mm

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【Profile】
前田 環奈(まえた・かんな):文・イラスト

古本屋「邯鄲堂」店主。その昔、ラムネ工場だった古民家をリノベーションした店の帳場で、本の販売をしたり、陶磁器の修理(金継ぎ)をしたり、文章を書いたり、イラストを描いたりしている。

■邯鄲堂(かんたんどう) http://kantando.blog.fc2.com