愛と欲望の横浜狂詩曲
敏腕が仇となり孤児院「双葉園」の理事を任されてしまった志村亮子は、戦後、ふぬけのようになって帰還した夫・四方吉に絶望していた。自らの手でバラ色の人生を切り開こうと奔走する彼女の行く手に立ちはだかるのは、うさんくさい文芸評論家に、ハンサムなカナダ人バイヤー、野球が大嫌いなプロ野球選手に、赤いチャイナ服で横浜駅のホームに立つ薄幸の〝シュウマイ・ガール〟(崎陽軒のシウマイを手売りする「シウマイ娘」がモデル)…。
「やっさもっさ」とは、大騒ぎの意。タイトルの通り、ひと癖もふた癖もある面々の野心と思惑が入り乱れ、まるで喜劇映画を見ているようなにぎやかさ。しかし、ユーモアたっぷりの筆のなかには、〝戦争児〟と呼ばれた混血孤児たちや、米軍の占領地の様相を呈した横浜という地へ向けた、愛と悲しみがにじんでいる。現代の倫理観にはそぐわない差別的描写も多いが、それらは、敗戦の傷を負い、きれいごとでは済まされない問題を抱えていた当時(※)の日本社会の混沌を、かえって生々しく浮き彫りにする。仕事に愛に、八面六臂の大活躍(または大暴走)を演じるヒロイン亮子の姿は、焦土に芽生えた雑草のように、同時代の読者を勇気づけただろう。
本作にインスピレーションを与えたのは、鳥取県岩美町出身の外交官・澤田廉三の妻で、孤児院「エリザベス・サンダース・ホーム」の創設者・澤田美喜。この国際派夫妻の持つ、あか抜けたスマートな雰囲気が、軽妙洒脱な獅子文六の作風と絶妙に響き合ったに違いない。なお、澤田夫妻は本作が縁で、彼の3度目の結婚の媒酌人となったそうである。
(※)『やっさもっさ』は1952年2月から8月まで毎日新聞に連載。新潮社刊は長らく絶版だったが、2019年ちくま文庫から復刊された。