歴史に死に、伝説に生きた男
血で血を洗う野心の時代に、ただ桁外れの戦の才だけを持って彗星のように現れた源義経。彼は、自身が放ったまばゆい輝きのために、敬愛した実の兄に疎まれ、殺された。鎌倉幕府樹立に至る立役者の一人でありながら、無邪気に愛を信じ、それに裏切られて散ったこの悲劇的な若武者の姿を、本作はじめ、日本人は今日まで、数多の芝居や物語に託して偲んできた。
義経の兄・頼朝にはブレーンともいうべき人物がいた。鎌倉幕府を支えた文官(※1)、大江広元。朝廷の下級官僚出身で、いわばヘッドハンティングで頼朝のもとに来た彼は、情を行動原理とする義経とは正反対の「知」の男だった。広元は、弟の軽率な言動に危機感を募らせる頼朝を最も近くで観察し、幕府の礎を揺るがす〝不安要素〟を、静かに排除へと導いた。
実はこの広元、のちの戦国大名・毛利氏の祖と言われ、因幡守(※2)を務めた人物でもある。鳥取県八頭町に今も残る「大江」の地名はその名残で、同町内の大江神社を氏神として崇敬したとも言われる。今年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、序盤から出ずっぱりの重要人物だが、「縁の地」であるはずの鳥取県で特に話題にのぼらないのは、PR下手な県民性のためか、広元に義経のようなスター性がないためか……。
自らの理想に溺れ伝説世界の住人となった義経だが、往々にして歴史は、頼朝や広元のような〝ちょっとイヤな男〟が築いていく。彼らが天下の情勢を睨む一方で、兄の怒りのわけすら理解できず困惑する、本作の義経の純情は、哀れというより、むしろ愚かですらあった。
※1 軍事以外の行政事務を取り扱う役人
※2 中央から派遣され、因幡地方を統制する役職。広元は元暦元年(1184年)に任官