狐につままれ狸に化かされ
大学2年の春、『海と毒薬』と『沈黙』を続けざまに読んだ私は、感動に震えながらも呆気にとられていた。重厚かつ端正な文章。深く胸をえぐる描写。この堂々たる純文学作品を世に問うた遠藤周作という文豪が、あのふざけた〝狐狸庵先生〟と同一人物とはにわかに信じ難かったからだ。
中学生の頃、父の書棚からよく抜き出して読んでいた、おバカでお下品な随筆集。作者の狐狸庵先生は、寝小便を直すために怪しいレコードを買ったり、仙人のコスプレで銀座のバーへ行き知人やホステスを欺いたり。くだらないことを喜々として遂行する様子は、どこからどう読んでも〝変なおじさん〟だった。
先生の祖先は鳥取藩士だという。その名を遠藤嘉助。城下町の辻で連日鼻の穴をほじっているところを複数の同僚に目撃され、ただその奇行によってのみ『山陰藩記』に名を残した人物であると本書が伝えている(※)。
自他ともに認める、堅物で保守的で他人の目を気にする県民性を誇るわが鳥取県であるが、さすが狐狸庵先生のご先祖様ともなると違う。我々県民は、今こそ霊峰・伯耆富士(大山)を仰いで鼻くそをほじるべきではないか。それに何の意味があるかなどと野暮なことを問うてはいけない。端から人生に意味などないのだ。
「私は毎日、毎日、他人という鏡の中にそれぞれ捉えられて存在している(中略)/そのくせ、我々は自分の素顔にさえ生涯、一度もおめにかかれない」
大作家、はたまた奇人、凡人。どれが本当の顔かとは、なるほど最も無意味な問いには違いない。
(※)遠藤家の祖先が鳥取藩池田家に仕えた御典医だったことは史実だが、遠藤嘉助ならびに『山陰藩記』なる書物の実在は、現在のところ未確認である。